TOP ぬかぴーのツブヤキ ╞╪╡ 鐵 學 ╞╪╡ (3) 都電が渡った橋

ぬかぴーのツブヤキ

発信者:ナナわんこ
2024.01.26

╞╪╡ 鐵 學 ╞╪╡ (3) 都電が渡った橋

「鐵學(てつがく)」と称して、永遠に交わることのない2本のレールにまつわるお話をツブヤいています。
その第3回目は、前回に引き続き都電が渡った橋についてです。

船路(ふなじ)橋  その2

前回は船路橋はお客さんを乗せない都電の修理工場までの専用線に掛かっていた「橋」ということをご紹介しました。

その当時が分かる地図を探したところ、手持ちの『東京都区分地図』(和楽路屋・1969.9)というポケット地図帳に詳細が分かる図がありました。

中央に掛かる船路橋を渡ると車両工場(C)和楽路屋1969

地図の上(北)から旧海岸通りを斜め左に折りてくる線が「船路橋」を渡ると交通局車両工場に至る様子が分かります。しかも構内の様子も前回の諸河久さんのレポートにある構内図と同じで、「20」の数字の上の横2重線は車両移動用のトラバーサーと思われます。
地図にはすでに開通していた東京モノレール(青線)や首都高速道路1号線芝浦ランプ(船路橋の文字の右横の四本の矢印)が示されています。

また右(東)側の芝浦岸壁には数本の貨物線が通っており、うち一本は左(西)に分岐し潮路橋を渡り芝浦2丁目まで伸びています。これらは現在日本テレビなどがある汐留地区にあった汐留貨物駅から竹芝・日之出桟橋を経てここまで伸びている路線です。

モノレールが島の横を通過します
うっすらと「ふなじばし」の文字が
昭和29年にできたので、それほど古くはないですね
まだ電車が走りそうな立派なレールが残っていました

船路橋の両脇にある親柱には「ふなじばし」、「昭和二十九年二月竣工」の文字が読み取れ、中央には2本のレールと「車両工場」という黄色いペイントが残っていました。バス修理工場となってもレールを剥がさず使用していたのですね。
(つづく)