ぬかぴーのツブヤキ
╞╪╡ 鐵 學 ╞╪╡ (2) 都電が渡った橋
「鐵學(てつがく)」と称して、永遠に交わることのない2本のレールにまつわるお話をツブヤいています。
その第2回目は、都電が渡った橋についてお届けします。
船路(ふなじ)橋 その1
都電といえば「都営荒川線」が三ノ輪橋~早稲田の12.2kmの路線が運行されていますが、その最盛期といわれる1955(昭和30)年頃は41系統・約213kmもの路線が張り巡らされ、乗り換え切符でどこまでも行けた夢のような時代です。
路線だけではなく、車庫も路線ごとに置かれ、例えば駅の近くの都営住宅や都の施設になっている広い敷地(大塚、巣鴨、駒込、三ノ輪、南千住等々)はその跡地です。それだけではなく、路線と車庫を結ぶお客さんを乗せない専用線(新宿歌舞伎町にある四季の路が有名)もありました。
今回はあまり知られていない都電の修理工場までの専用線の痕跡を残していた「橋」についてです。
それが東京都港区芝浦2丁目と4丁目を結ぶ「船路橋」です。ともに運河に囲まれた人工島で、いまの芝浦4丁目は大規模な再開発が行われ芝浦アイランドと称して建物が林立しています。
今の船路橋は2007年にかけ替えられたおしゃれな人道橋ですが、この芝浦アイランドにはむかし「東京都交通局電車両工場」があり、国道15号線の芝4丁目交差点の系統から分岐してここまで単線が延びており、都電専用の船路橋を渡り車両工場へのつながっていました。
鉄道写真家で有名な諸河 久さんが貴重な写真を残しています。
この車両工場は検修・修繕・改造だけでなく新造も行っていたそうですが、67年から70年代に入るころに路線の廃止が進むなか、1969年に車両工場は廃止されます。その後、都バスの整備工場や教習所になりましたが、それも1991年に廃止になったそうです。
私が訪ねた1997年には跡地は更地となり、船路橋だけが往時の痕跡を残していました。
(つづく)