ぬかぴーのツブヤキ
╞╪╡ 鐵 學 ╞╪╡(76)さよならSLブームのころ(1)
「鐵學(てつがく)」と称して、永遠に交わることのない2本のレールにまつわるお話をツブヤいています。
世はまさに「鉄道ブーム」ですが、線路に立ち入り列車を止めたり、近隣への迷惑行為などたびたび報道されており、老マニアからみるといささか度を超えた感があります。
今回はそんなブームのきっかけと言ってよい「SLブーム」のお話です。
大人も子供も夢中になったSLのさよなら運転
1960年代なかばより、蒸気機関車(SL)全廃の1975年まで、「SLブーム」と言ってよい世の中でした。消えていくものの哀愁とともに、一般庶民へのカメラの普及(一眼レフ以前ですが)、国鉄のディスカバー・ジャパンのキャンペーンによる旅行ブームなどが後押しし、70年代に入ると空前のSLブームが到来しました。
私が小学校高学年~中学時代に、身近な関東地方の蒸気機関車が廃止され、子どもながらカメラを持って追いかけた一部から、当時の熱狂ぶりをお伝えします。
1969年 秋
はじめは川越線の蒸気機関車さよなら運転です。1969(昭和44)年9月30日、翌10月1日からのダイヤ改正で、川越線に残った蒸気機関車牽引列車が無くなるので、さよなら運転が行われました。昨年の「鐵學(13)半世紀前の大宮駅」の夕方の旅客列車(69636牽引)と貨物列車(9687牽引)がさよなら列車になりました。
この日は火曜日で、学校から急いで帰り大宮駅に駆け付けましたが、列車発車時は暗くなるため、大宮機関区に行きました。しかし曇り空で秋の空は早くも暗くなり、薄暗い中でピンボケの写真になったのが残念です。
次の写真はその翌々週(10月13日)に、横浜線(八王子~小机)で行われたさよなら運転で、機関車(C58212)の正面に飾られたボードです。見に行けなかったのですが、その冬に八王子機関区に行った際、事務所に立てかけてあったものを写しました。
いずれも機関区の人たちが手作りの飾り付けをしてくれていました。(つづく)