TOP ぬかぴーのツブヤキ ╞╪╡ 鐵 學 ╞╪╡(102) NAGANO 1971 (1)

ぬかぴーのツブヤキ

発信者:ナナわんこ
2026.01.16

╞╪╡ 鐵 學 ╞╪╡(102) NAGANO 1971 (1)

「鐵學(てつがく)」と称して、永遠に交わることのない2本のレールにまつわるお話をツブヤいています。
今回は昔の写真のなかから、長野にあった機関区(正しくは運転区)の情景をご紹介します。

国鉄蒸気機関車の終焉から50年

年が明けたばかりで「終焉」もいかがとは思いますが、今年で国鉄の蒸気機関車が廃止されて50年になります。
1975(昭和50)年12月14日に、室蘭本線で蒸気機関車牽引の定期旅客列車の最終運行があり、また貨物列車では10日後の12月24日に夕張線(現・石勝線)での石炭列車が最終運行され国鉄の本線上から蒸気機関車が消滅しました。
しかし構内の入替作業ではまだ蒸気機関車が使われており、1976(昭和51)年3月2日に追分機関区の9600形(大正生まれ!)による入換え仕業が終わり、国鉄の線路上から蒸気機関車は姿を消しました。新橋・横浜間の鉄道開業から104年目のことです。

国鉄本線上を走った最後の旅客列車の牽引機 C57135(大宮鉄道博物館に保存されたころ)

1971年春の長野機関区で

このころ中学生の私は小海線の蒸気機関車を追いかけていました。いつも新宿から夜行で小淵沢へ行き、小諸に抜けて信越本線で帰るのが常でしたが、この日は夜行で長野駅に行き、長野機関区を見てから小諸に行くべく、早朝の長野駅に降り立ちました。
長野は交通の要衝で、大規模な長野機関区や長野工場がある鉄道の町。期待を膨らませて機関区へ向かいましたが、駅の跨線橋から見えたのは長野工場で解体を待つ蒸気機関車などの車両ばかり。機関区事務室へ挨拶して構内へ入ると、広い機関区には煙も見えず、人の姿もほとんどなく文字通り「火の消えたよう」な情景にびっくり。

長野工場にはナンバープレートを外され解体を待つ多くの車両が(C56形とC12形)
「キューロク」こと大正生まれの9600形
新型電気機関車の登場で不要となった暖房車が列をなす
ホームの外れには最大生産量数を誇る名機「デコイチ」(D51形)
蒸気機関車を追い出したディーゼル機関車(DD51形)が廃車のデコイチを横目に本線を走る
広大な機関区もひっそりと(今は新幹線のホームに)

信越本線は無煙化されたものの、篠ノ井線や飯山線には蒸気機関車が残っており、期待して訪問したのですが……。

巨大な扇形庫が胸を打つ

19線を持つ扇形庫、左にハチロク、右に暖房車。人がまったく写っていない

この写真は蒸気機関車の車庫=扇形庫と方向転換する転車台を写したもので、当時パノラマ写真などが無い時代。ハーフサイズの小さなカメラを三脚に付け、繋がり位置を決めて左から右に別々に3枚写したものです。それをPhotoShopで1枚の写真に合成、簡単にパノラマ写真ができたのには驚きました。
よく見えないかも知れませんが、この写真には一人の姿も煙も写っていません。SLブームと言われ伯備線の三重連はニュースにもなっているのに、訪ねるファンもなく、「にわか」ブームの本質を中学生の時に見たような気がします。
いまあらためてこれらの写真を見ると、蒸気機関車全廃まで5年に迫り、廃車・解体待ちの車両群や火の消えたような機関区の情景に心が痛みます。(つづく)